我々はなぜリーダーを目指さないといけないのか

今日はこの記事を読んで、思ったことことをつらつらと書いてみます。

「リーダーを目指さない」という選択肢 – 脱社畜ブログ

確かに、全員がリーダーを目指す必要はないのかもしれません。しかし、文末にある「もちろん、リーダーでなくても給料を仕事ぶりに応じてしっかり上げてもらう」という前提は、リーダーを目指さない時点で、多くの場合、諦めなければならないでしょう。

リーダーじゃないと給料が上がらないカラクリ

まずもって、給料というのは「仕事ぶり」や「能力」で上がるわけではありません。売上や利益に貢献するから上がるのです。そしてリーダーを目指さない人の給料が上がり続けるためには、一個人で会社に貢献できる金額をどんどん上げていくしかありません。

しかし残念ながら、多くの職業は、たった一人で生み出せる金額が限られています。ミュージシャンや小説家なら、一個人のユニークな才能で際限なく収入を上げていくことができるかもしれません。あるいは会社員でも、一人で莫大な金額を動かすことができる大企業相手のコンサルタントや証券マンであれば、それは可能かもしれません。

しかし、営業マンはどうでしょうか。商品開発やマーケティングや広報の担当者はどうでしょうか。総務や人事は、Webデザイナーやプログラマーはどうでしょうか。

結局、世の中に存在する多くの仕事は、一人で売上げられる金額、あるいは一人でカットできるコストが限られています。それを、チームや組織で行動することで、個々の力を最大限に活かし、1+1=2ではなく、4や5や10の利益を生み出しているのです。これがチームであり、組織であり、会社です。

そういう組織の中で仕事をしている以上、一個人に収まったままの仕事をし続けるというのは、多くの場合、収入の停滞を意味してきます。

一方、組織を動かし、大きな金額を動かせる人(つまり、リーダー)の収入が上がっていくのは当然のことでしょう。なにしろ、利益貢献しているわけですから。逆に、リーダー職の人に「役割が違うだけであなたがえらいわけじゃないから」といって、他の社員と均等に売上を折半して給与を決定していたとしたら、それこそ不公平というものです。

リーダーは目指してなるものではなく、求められてなるもの

先ほど、ミュージシャンや小説家やコンサルタントや証券マンはリーダーにならなくてもいいかも、といいましたが、現実的には、彼らも一人で仕事をしているわけではありません。

いわゆるリーダー職でなくても、顧客やチーム内のスタッフ、関係者、外部の協力会社などに対して、リーダーシップを発揮しなければならない状況は多々あります。

厳密にいえば、リーダーというのは、目指してなるものではなく、求められてなるものです。目指しても、求められなければなれません。また、目指さなくても、求められればならざるを得ないものです。ある程度のキャリアを積めば、誰しも求められてくるもので、実は選択肢ではありません。

にも関わらず、周囲の期待を拒否して、なお待遇が上がっていくことを望むのは、よほど特殊な才能に恵まれていないと難しいでしょう。

また別の視点から考えると、多くのスキルはいずれ陳腐化します。より長い期間に渡って自分の価値を維持しやすい生き方とは、一個人に集約された特定スキルではなく、優秀な他者をまとめあげて導く力です。その力も衰えることはあるでしょうが、少なくとも、一個人に収まった特殊能力よりは、多くの場合は寿命が長いのではないでしょうか。

別に、全員が松下幸之助や本田総一郎のような超絶リーダーを目指す必要はありません。しかし、少なからず組織やチームの中で生きるのなら、それがたとえ小さなお山の大将であっても、リーダーになることは宿命なのです。

確かに、「ふさわしくない人がリーダーになってしまう」「リーダーが育ちにくい」という問題は発生します。しかしそれはあくまで組織の問題です。仕事をする側の、キャリア形成の視点で考えれば、組織の問題とは関係なく、リーダーになることを視野に入れて仕事をしなければなりません。向いてないと思っても、求められたのなら、努力したり、自分に向いているスタイルを見つけ出したりして、その期待に応えなければならないのです。

まとめ

リーダーを目指さない選択肢が絶対にないとは言いません。しかしそれを選択するからには、では、一人で際限なく利益を生み出す手段があるのか、もしくはこの先待遇が上がらなくてもよいと割り切れるか、現在保持しているスキルの価値が無くなったら、待遇が下がってもしょうがないと受け入れられるか、最悪、組織から不要と思われてもよいと思えるか。

そういった覚悟ができなければ、リーダーにならない選択というのは、単なるワガママにしか映らないでしょうし、結果的には、自分を不幸にするだけの選択になるでしょう。